vol.241 エゴが実存を垣間見るとボイドが見える
いくとさんからのお便り
・月読之大神の野望の大きさ
・いくとさんの学生の頃からの悩み
・魂が打ち震えて喜ぶこと
・エゴから見た実存はボイドに見える意味
はい、おはようございます。今日は8月16日のいくとさんのお便りから始めさしていただきます。
8月16日。もうお盆がちょうど終わる頃ですね。
『Vol.187~193にてご回答いただき有難うございました。
初めの3回分の動画を見た後、いたたまれない気持ちになり数日間は新しい動画を見れないでいました。』
なんだったんでしょうね。
『再び動画を見始めたのがVol.196のときで、嘘を書いてると「恥ずかしいと思う波動を出してる」とおっしゃっていたので、そういうことかと納得しました。』
あー、ハハハ。
『思い当たる節が多重人格のことを質問したときにありましたので。不誠実でした。申し訳ありません。』
どういうことなのかね。
『また宇宙全史の文体は平易なので読むことはできていますが、今一つ理解が追い付いていないことを思い知りました。
宇宙のゴミクズの入植を受け入れた地球という存在のキャパの大きさ、人間の矮小さ。私たちの如何ともしがたさ。地球の有り難さ。
月読みの大神の「全ての存在を真我に」という野望の尋常ではない果てしなさ。』
これ、すごいよ。ほんとにね。想像もできないですね。
『完全覚醒のイレギュラーさ。宇宙の搾取構造の抜かりのなさ。
以上のようなことを改めて突き付けられました。
「自分でやる」ということにも、やはり課題があります。学生の頃からの悩みなのですが、打ち込みたいと思える仕事を見つけられていません。生活の糧のためという理由が大きく、そこの思いに自主性があまりありません。』
うん、生活の糧でいいと思いますよ。
生活の糧の中で、その中で、その範疇でやってけばいいと思いますよ。
みんなそうだし、それ以外の人なんかほとんどいませんから。
『そうは言いつつも、面白そうからという理由で始めた副業の方は、人としての堅実な学びがあり、そこで補いをつけている状況です。』
よかったですね。
『「灯台下暗し」というお言葉からは、「あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ」(p216)と『I AM THAT』に書いてあったことを思い起こさせました。ただし宇宙全史は更に先を見据えてのお言葉のように感じられます。
さりげない過去の質疑応答を想起させるご回答にも感謝いたします。これも「洗練」ということなのでしょうか。そうありたいものです。』
そうですね。
『また実存に至ることが真我に入ることだと思っていたため、そうではないということが意外に思われました。
『I AM THAT』の通読は一気にというわけにはいかず、少しずつ読み進めています。この読書体験はあえて言うなら魂の安らぎです。世界平和の祈りを祈る際にときおり感じる微振動を、読書中にも感じることがあります。』
これはね、なるほどね。
『長くなってしまいましたが、今回はお礼まで。
他の動画につきましても思うところがいろいろとございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。』
はい、『I AM THAT』読み始められたんですね。で、感じるものがあったと。微振動ね、 魂が打ち震えて喜んでるんですね。あれを読み始めたり、その理解まではいかなくても、この方いくとさんは理解されて、ある程度理解されてますけども、あれはなかなか理解できる人はいないですよね。
あれが面白くてしょうがないってなったらもう大したもんだけど。そしたらもう、この地上界の卒業だからね。
高円寺行って踊り、遊び狂ってるようではあと飲み明かしてるようでは、なかなか先は、うん、遠いね。まだ若いからね。今後ろで撮影してる方いるんですけども、
最近引っ越して、なんか一昨日は、ハメ外したらしいですね。
かわかつ「いや、外してはないです。」
外したの。
かわかつ「外しはしなかったんで」
外しはしなかったんですか。ちゃんと理性は。
かわかつ「はい」
はい。いくとさんのお便りは、ここまでで。追伸がありますね。
『動画Vol.193を受けて質問がございます。
「実存は真我の一歩手前」とのことですが(動画のタイトルに簡潔にまとめられていましたので借用させていただきました)、以前掲示板にて「実存は緩衝地帯」とおっしゃっていたのは、真我と宇宙の緩衝地帯ということだったのでしょうか?
実存を垣間見るときに、実存がボイドに見えるのは、ボイドの持つ性質が緩衝地帯としての役割を果たすからなのでしょうか?』
これは違いますね。あのね、実存は全然、あのあれ。こっちから見るとボイドに見える。つか、我々のエゴから見るとボイドに見えてしまうということですね。
(※実存はエゴの側から見るとボイドに見える?)
怖いんですよ、やっぱり。実存とか真我ってのは怖いです。すごく。
だからよくお便りがあってチャクラが開くとかなんかあるんですけども、エゴまみれの人のチャクラを開くと発狂しちゃう、基本発狂しますよね。
クンダリーニとか登るともう絶対発狂します。だからエゴを薄くしてないとかなりまずいことになっちゃいますよね。
だから、ましてやその実存とか、真我は無理だけど、実存を垣間見たら。ボイド、ボイドで済んだらいいけど、やっぱ本当に頭おかしくなっちゃうよね。うん、それはエゴから見た実存なんですよ。
だからニサルガみたいなその境界の人が。実存に入っておられますから、あの方はもう既に。そこまでの境涯の方は別にああ幸せだな、僕は君といる時が1番幸せなんだぐらいの感じでやっておられますけども。
我々、塵芥にまみれた人間が、あー、こう、ちょっとなんか拍子に覗いたりすると、それはボイドに見えると。あるいはもっとひどいことになるかもしれませんね、というお話です。